休日になると出てくるモヤモヤや不安感
同じような毎日に同じような週末、そして同じような1年。
そんなありきたりな毎日を過ごしていると、ふいにこのままでよいのだろうか?と疑問を抱くことがあります。
こんな生活を続けていて将来いったい何になるのだろう?と危機感にも似た不安を感じます。
こういった不安は特に休日に感じることが多いです。
おそらく平日は仕事に追われて感覚がマヒしているのでしょう、平日は不安などはありません。
しかし休日になった途端にどうしようもない不安が生まれてきます。
そんな不安に対して考えに考え、悩みに悩んでも答えは出ないまま休日が終わってしまいます。
しかし次の週の平日が始まるとピタっと不安の意識が薄れます。
平日の仕事に忙殺されることが不安に対する緩和剤になっているのかもしれません。
仕事から解放されたときに後悔しないか?
仮に仕事で忙殺されることが不安が緩和されるのなら、仕事がなくなったらこの不安はどうなるのでしょう?
そんなことをふと考えることがあります。
それらの不安は、言い換えれば毎日に疑問を感じて生きているからこそ起こるものです。
そんな疑問が鬱々と積み重なっていき、いつか爆発しないだろうかと思うのです。
それでもまだ、若いうちは問題ないでしょう。
体も健康的で、仕事がなくなったところで何か新しいことチャレンジするだけの気力があります。
しかし、これが歳を取った後ならどうでしょう。
モヤモヤ感を抱いたまま何十年も過ごし、気づけばもう若くなく、体も衰えてきたそんなときに、ふと今の「平日」から解放されてしまったら?
モヤモヤ感を緩和させていたものがなくなり、とてつもない後悔・絶望感におそわれてしまう気がするのです
もちろん、歳を取ってからでも何か新しいことにチャレンジすることは可能です。
しかしそれらは、若い頃に比べると選択肢がとても少ないのです。
体に負担がかかるものには体力的な限界がありますし、じっくりと時間をかけて行うものには時間的な限界もあるでしょう。
どうしても若い頃のようにはいかないと思うのです。
仕事に打ち込むのはそれはそれで勤勉で大切なことだとは思うのですが、それよりも大切な何かをないがしろにしておくと、いつかそのツケを払わされる気がしてならないのです。
仮に定年が今からさらに伸び、およそ70歳近くになってしまったらどうでしょう?
平均的な寿命を考えますと、およそ10年たらずしか自由な時間がありません。
そんな10年たらずの時間しかないにもかかわらず、体はロクに動かないでしょうし健康でないかもしれません。
そんな年齢になってから、あのときにアレをもっとやっておけばよかったと後悔したくはないものです
今の生活から飛び出す度胸もない
かのスティーブ・ジョブズも次のような名言を述べています。
三十三年間、毎朝鏡を見つめて、こう自問自答してきた。
『もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか?』
ノーの答えが何日も続けば、何かを変える必要があるという。
私はこの名言を聞いたとき、何か心にグサッと刺さるものがありました。
人生最後の日だったら今日何をしているか?
まあ少なくとも仕事には行ってないでしょうね
そういった意味で、今日やろうとしていることに対してはノーと言うでしょう。
それが何日も続けばって…毎日仕事に言っているのでノーの日が続くでしょう。
となると名言通りにいくならば、何かを変える必要があるのでしょうか?
ただ、この「何か」が本当にわかりません。
刺激のない無為で平和な毎日、いったい何をどうすれば毎日がもっと刺激的になるのか?
それが見つからないのです。
しかしだからといって、今の仕事は意味のないことだ!だから仕事を辞める!といきり立つのも、それはそれであまりにも短絡的だと思うのです。
以前、ロバート・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」が大ヒットしたときに、そのような短絡的な行動をした人が多数おりました。
実際、1人だけ私の知人も今の仕事ではラットレースを脱却できない!だから仕事を辞めて自分探しに出ていく! などといって、本当に仕事を辞めてしまいました。
そんなバカな話があるのか?と思われるかもしれませんが事実です。
で、結局どうなったかと言いますと、両親・友人のすべてと縁が切れてお金もなくなり、その後は派遣社員になり音信不通です。
その知人の例もあり、私は今の生活から脱却することに対してとても臆病になっています。
日本人は年齢とともに幸福度が下がっていく
子供の頃は皆、ある程度は毎日が刺激的で楽しい毎日です。
将来に対する可能性や夢も持てる年齢、まさに若さといったところでしょうか。
それが20歳を過ぎたあたりから、自身の限界を知り世の中のシステムを知り、生活の刺激が急激に少なくなってきます。
さらに、サラリーマンとして働き始めればその刺激はますます少なくなり、もはや毎日に刺激なんてありません。
あるのは刺激ではなくストレスです。
実際、日本人の幸福度は統計上、年齢を重ねるごとに少なくなっていくことが知られいます。
この日本型の幸福曲線は「L字型」と呼ばれる部類に属します。
L字型、たしかに日本は働き始めるまでが恵まれすぎていて、働き始めてからが急激に惰性のような生活になりますね。
ちなみに欧米やらの外国では、一般的に「U字型」の幸福度を示す場合が多いと知られています。
U字型とは若いうちは楽しく、中年は仕事で辛く、老後が近づくにつれて再び楽しくなるような幸福モデルです。
まあ海外は海外でまた違った事情があるので何とも言えませんが、私はL字よりはU字の方が楽しそうだと思います。
だって将来に再び幸福モデルが上がっていくのならば、何かUの底辺の時期もがんばれそうじゃないですか。
これがL字型ならもはや夢も希望もありません、落ちていくだけです。
休日のモヤモヤは結局のところ解決しないままですが、何とかしてL字型の幸福モデルを変えていきたいものです。
社会人になってから、本当に刺激や幸福を感じる機会は皆無ですしね。
L字型の底辺に向かって一直線に落ちているような気がします。