無敵の人が増える恐怖

サラリーマンにとって恐ろしい存在。

それは無敵の人です。

無敵の人とは、黒子のバスケという漫画の作者をめぐる連続脅迫事件にて犯人が発言した言葉です。

定義としては「失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間」を意味します。

無敵の人、これほど恐い存在はありません。

犯罪を恐れませんので、ためらうことなく他人に危害を加えます。

加えて、何も背負っておりませんので限度がありません。

まさしく無敵の人です。

対してサラリーマンは、無敵の人に比べればあまりにも無力です。

社会的責任から手は出せませんし、やられるがまま我慢するしかありません。

無敵の人とは逆に最弱の存在といってもよいでしょう。

この現状…

正直、何かおかしくないか?と思います

何にも背負っていない無敵の人はやりたい放題、それに対する対抗手段は0 !

どう考えてもおかしいでしょう。

実際のところ、毎日通勤していると無敵の人っぽい輩には時折出会います。

実際、無敵の人がどこぞのサラリーマンを蹴り飛ばしているのを目撃したこともあります。

私自身、そんな無敵の人にからまれないかと通勤のたびにヒヤヒヤします。

 

無敵の人は無敵ゆえに無敵である

無敵の人にやられたらやりかえしたらいい?

そんな簡単な問題ではありません。

やりかえしたくてもやりかえせないのです。

それは、会社をクビになるといった社会的責任からだけではありません。

逆恨みが恐いのです。

無敵の人に絡まれた場合、やりかえしたらどうなるか考えてみてください?

その人と金輪際関わらないことが確定しているのなら、やりかえしても無傷です。

でも実際そうはいきません。

やりかえしたらやりかえしたで逆恨みを買ってしまい、それ以降、その無敵の人につきまとわれるかもしれません。

それが恐いのです。

無敵の人は何に対してでも良いので何らかの動機を求めています

無敵の人に対してやりかえす。

それは言い換えれば無敵の人に動機を与えてしまうことになるのです。

無敵の人は単に行動が無敵なので恐ろしいのではなく、何かに没頭する動機が見つかればすべてを捧げることができるからこそ恐いのです。

もし逆恨みを晴らすことに全エネルギーをつぎ込まれでもしたら、サラリーマンは成す術がありません。

警察に通報したところで、警察は実際に無敵の人が行動を起こしていないうちは何もしてくれません。

それに対して、無敵の人には行動する制限が何もありません。

背負うモノも失うモノもありません、無敵です。

まったく勝負になりません、その時点で詰みです。

危害を加えられるか、あるいは反撃してか過剰防衛で道連れにされるか。

いずれにせよ、百害あって一利なしです。

となると結局、無敵の人に反応した時点で負けなのです。

ちなみに私は、この無敵の人というネーミングはものすごく的確な表現だと思っています。

そういえば、テレビでアナウンサーが反論しているのを見かけましたが、あれがまたピントがズレていて話になりませんでした。

自分の命と引き換えに大切な人を守る人が本当の無敵の人だとか、何もない人は無敵の人なんかじゃないだとか。

論点がズレすぎていて話になりません。

犯罪に抵抗がない彼らは、一般人から見ればまさしく無敵なのであって、それゆえに単に無敵なだけなのです。

勇敢な人が無敵の人であるべきだなんてことは、勝手に個人でそう思っていればよいのです。

問題は無敵の人が実際に無敵なのが問題なのです。

 

無敵の人をなくすにはどうすればよいか?

どうすれば無敵の人がいなくなるか?

無敵の人にとって多少の犯罪の厳罰化は意味がありません。

背負うものがないがゆえ、多少の罰よりも目先の欲求を優先するからです。

それゆえ、もし厳罰化を行うのなら並大抵ではない厳罰化が必要です。

それこそ、罪を償うためには拷問に近い苦痛が与えられ、且つその苦痛が容易に頭に浮かぶ程度まで周知されておく必要があります。

無敵の人にとって懲役や死刑は苦ではありません。

むしろ、彼らにとってはある種の解放になってしまうでしょう。

それはイスラム原理主義のテロリストが、聖戦で死ねば死後の世界で酒池肉林の生活が待っていると自爆する心理と似ています。

死は苦ではなく解放。

その心理をどうにかしない限り意味がありません。

現代の死刑に対しても、一瞬で逝けるイメージがついてしまっているのはとても危険です。

どうせ死刑になるのなら派手にやってしまおう、死ぬのは一瞬だし恐くない

そんな輩が出てきても不思議ではないからです。

しかし仮に、死刑が拷問に近い形で行われそれが公開されていたとしたらどうでしょう?

私は少しの抑止力にはなると思います。

犯罪者の人権?

極論を言えばそんなものはいらないのです。

すべての人の人権を守ろうとすればするほど一部の人の人権は無視されていきます

現代社会で言えば犯罪の被害者の人権が尊重されるあまり、被害者の人権がないがしろにされているケースが目立ちます。

加害者の人権は声高々に叫ばれ続ける反面、被害者は泣き寝入りの世の中です。

その結果、無敵の人なるものを生んでしまうのです。

犯罪者の人権を尊重するあまり、無敵になる人が生まれるのです。

それならばいっそ、人権を守るに値しない人からは人権を排除して、全体のバランスを取った方がまだマシです。

このまま格差社会が進んでいきますと、ますます無敵の人が増え続け、善良な一般人が理不尽に被害を被ることになります。

これは確実です。

そうなってからでは確実に手遅れです。

無敵の人が増え続けると、もはや抑えることも難しくなるでしょう。

無敵の人が少数派の今のうちに、確実に芽をつぶしておかなければいけません。

本当は無敵の人が生まれてないような世の中にするのが理想ですが、どうもそれは資本主義の構造上不可能そうです。

となると酷ですが、無敵の人を抑えこんで無敵でなくなるようにするしかありません。

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