世界一貧しい大統領の名演説が感動する

世界一貧しい大統領と聞けば、皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか?

私は何といっても、ウルグアイの第40代大統領、ホセ・ムヒカ大統領を思い出します。

知っている人は知っていると思うのですが、この大統領が2012年のリオ会議で行った演説は後世に語り継がれる名演説としてとても有名になりました。

実際に当時、各地のメディアで取り上げられていましたし、日本でもテレビなどでたびたび放映されていました。

せっかくなのでその名演説を以下に貼ろうかと思います。

知らない人はこれを機に一度目を通されてみてはどうでしょうか?

 

 

この場に出席されている世界各国の代表の皆さん、ありがとうございます。

お招きいただいた、ブラジル国民そして大統領閣下に感謝します。

これまでに発言されたすべての方々が表明された誠意にも、大いに感謝いたします。

いち国家主導者として、貧しい人々のための通り決めづくりに、仲間として共に参加することを表明いたします。

しかし、私たちにもいくつか声高らかに質問をすることをお許し願いたい。

今日の午後ずっと、私たちは「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。

けれど、私たちの本音は何でしょう?今の発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?

質問させてください。

もし、ドイツ人が1家族ごとに持っているほどの車をインド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうのでしょう?

私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか?

もっと、はっきり言いましょう。

例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで70億、80億の人々に消費と浪費が許されるとしたら、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?

それは可能なのでしょうか?それとも別の議論が必要ですか?今のこの文明を作ったのは私たちです。

私たちは市場と競争社会から、文明という落とし子を産み出し、物質面での驚異的な進歩をもたらしました。

そして、市場経済は市場社会を作り出し、それを世界規模に拡大してしまいました。

いわゆるグローバリズムです。

そのグローバリズムを私たちはコントロールできていますか?逆にコントロールされてはいないでしょうか?

こんな残酷な競争で成り立つ社会で「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が本当にできるのでしょうか?

私たちは本当に仲間なのですか?私は今回の会議を否定するために言っているのではありません。

違います。逆です。

我々が今、挑戦しようとしている目の前の巨大な困難は決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。

人類は今、消費社会をコントロールできていない。

逆に人類のほうがその強力な力に支配されているのです。

我々は、発展するためにこの地球上にやって来たのではありません。

幸せになるためにやって来たのです。

人生は短く、あっという間です。

しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。

余計なものを買うためにもっともっとと働いて、人生をすり減らしているのは、消費が、「社会のモーター」となっているからです。

なぜなら、消費が止まれば、経済が麻痺してしまい、経済が麻痺すれば不況というお化けが我々の目の前に姿を現します。

しかし今、行き過ぎた消費主義こそが地球を傷つけさらなる消費を促しています。

商品の寿命を縮めできるだけ多く売ろうとする。

今の社会は1000時間持つような電球は作ってはいけないのです。

本当は10万時間、20万時間も持つ電球はあるのに、そんなものは作らない。

なぜなら、我々はもっと働きもっと売るために。

「使い捨て文明」を支える悪循環の中にいるからです。

これは政治問題です!

我々は今までと違う文化のために闘い始めなければならない。

石器時代に戻ろうとは言ってません。

このままずるずると消費主義に支配されるわけにはいかない。

私たちが消費主義をコントロールしなければならないと言っているのです。

ですから私は、これが政治問題だと言いました。

とても謙虚な思いからです。

かつての賢人たち、エピクロスやセネカ、そしてアイマラ人たちは次のように言っています。

「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」と。

大切なのは"考え方"です。

だからこそ、皆さんと共にこの会議に参加し、国家主導者として皆さんとともに努力したいのです。

私の発言は皆さんを怒らせるかもしれない。しかし、気づかなくてはいけません。

水問題や環境の危機がことの本質ではないということです。

見直すべきは、我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。

なぜそう思うのか。私は環境に恵まれた小さな国の代表です。

人口は300万人ほど、いやもうちょっと320万人ほどしかいません。

けれど世界で最もおいしい牛が1300万頭、また素晴らしい羊が800万から1000万頭。

食べ物、乳製品、そして肉の輸出国です。

国土の90%が有効に使えるほど豊かな国なのです。

だから、かつて、私の仲間たちは8時間労働のために闘い、ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。

しかし、そうなったら仕事を2つ持つようになりました。

なぜか?たくさんの支払いがあるからです。

バイクやマイカーのローンを次から次へと支払っているうちに、私のようなリウマチ持ちの老人になって人生が終わってしまう。

そして、自分に問いかけるのです。

これが私の一生だったのか?と。

私が言っているのは基本的なことです。発展は幸せの邪魔をしてはならない。

発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして、「必要最低限のモノで満足する」ためにあるべきものなんです。

なぜなら、それらこそが一番大事な宝物なのだから。

環境のために闘うのなら、一番大切なのは人類の幸せであることを忘れてはなりません。

ありがとう。

 

貧困問題の本質とは何なのか?人生の幸せとは何なのか?

この演説は、何度見てもとても考えさせられるものがあります。

私たちは毎日働いています。

朝早くから満員電車に揺られたり通勤渋滞に巻き込まれたり、夜は遅くまで残業したり、ときには休みまで返上して働きます。

でも、それは何のために働いているのでしょうか?

言うまでもなく生活するためです。

もっと良いモノを買ったり、もっと良いモノを食べるために身を削って働きます。

ではそれらが満たされたとき、私たちは満足するかといえばそんなことはありません。

一時的な達成感のようなものは得られるかもしれません。

しかしすぐさま、今度はアレが欲しくなったりコレが欲しくなったりと次の欲望が湧いてきます。

そして再び、身を削って働き始めます。

まさに消費の奴隷、演説で言うところの消費主義に支配された状態となるわけです

貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ

と演説でありますが、まさにその通りです。

今の世の中は、昔と比べるとはるかにハイテク化が進んだ便利な世の中になってきています。

しかし、どれだけ便利になれどサラリーマンの労働時間は短くなりません。

それどころか、以前に比べてハイテク化された機器を駆使した分、労働時間はそのままに労働密度だけが上がったなんて笑えない状態にすらなりつつあります。

では、なぜそのようなことになってしまいのか?

理由は簡単です。

この世の中が競争社会だからです

便利になればなった分だけ、それを駆使して自分だけ出し抜こうとする人間がいる限り、誰も報われることはありません。

いわゆる、囚人のジレンマというやつですね。

例えば身近なスーパーやサービス業を見ていてもそうです。

ある日、どこかのお店が他を出し抜いて価格を下げます。

それを見て、他のお店も負けじと価格を下げて対抗します。

するとこんどはさらに価格を下げて…と負の連鎖は繰り返されていき、※ダンピング状態となります。

※ダンピング:採算を無視して商品を安売りすること

身近な例ではこんな感じですが、本質的には世界規模レベルでも同じことです。

サラリーマンなんてのはほぼ全員がこの負の連鎖に巻き込まれています。

組織間の競争に巻き込まれた結果、私生活を使いに使いつぶされ労働力と利益を組織に搾り取られています。

また、日本人という人種はこの手の競争になると特にヤバイ人種です。

組織に尽くすことだけを最優先に考えて、自分の人生を簡単に捨ててしまう人間が多いからです。

特にたちが悪いのは、そういった行動を自分だけに留めておかず他人にまで強要する気質を多くの日本人が持っている点です。

俺も苦労しているからおまえも苦労しろ!!

こういった意味不明な理屈を盾に周りにも滅私奉公の働き方を強要するのが日本人です。

 

中途半端にグローバル化している日本

私たちの世代は学生時代からグローバルグローバルと教師たちから言われ続けてきた世代です。

これからは世界を視野に入れて戦っていかないと生きていけない

などと言われ、何かと海外に目を向けろと言われ続けていました。

そんな言葉を真に受けて、私は学生時代はグローバルな人材になろうとがんばってきました。

英語の習得も結構がんばった方ですし、多くの外人と交流を持とうとしました。

海外の方との交流はとても新鮮でしたし、考え方の違いは多くの新しい価値観をもたらしてくれました。

しかしその結果、どうなったかといいますと?

日本でサラリーマンをするにはとても息苦しさを感じるだけになりました

こういったことを言うと必ず「じゃあ海外で働けばいいじゃん?」と反論されますが、中途半端にグローバリズムされた私には海外で働くまでのスキルはないのです。

海外で働くほどのスキルや語学力はなく、かといって日本古来の価値観はなくした状態。

そんな半グローバルな人間にとって、日本のサラリーマン社会は地獄です。

よくわからない慣習や暗黙の了解、はたまたサービス残業なんてのがいまいちよく理解できません。

サービス残業なんて…ありえん。

グローバライズされた人間から見れば、日本のサービス残業なんて意味不明だと思うのです。

え?なんでお金をもらえないのに働かないといけないの?それなら帰ります^^

それで終わりだと思うのです。

しかし、それでは生きていけないのが日本社会、ほんと苦しくなりますね。

日本の多くの会社がグローバルグローバルと叫びつつ、末端社員には毎日平然とサービス残業を強いている。

これほど奇妙な状況はありません。

一言でいれば都合のよいグローバル化といいましょうか、どこかおかしいと思います。

あと、何かと日本人は内弁慶なところがあるとも思います。

先のムヒカ元大統領の演説にしたって、もし同じことを日本人が言おうものなら…

インド人をバカにしている差別主義者だ

などとピント外れの批判がされそうな気がするのです。

日本人は外面だけ良いと言いましょうか外人至上主義と言いましょうか、何かと内々には厳しくて非情な気質があると思います。

それでも長時間労働を糧に世界をリードするような日本であればまだ救いはあるのですが、最近は徐々に労働時間だけ長い国になりつつあります。

外国人就業者の希望数もどんどん減っているそうですし、そろそろ黄色信号が灯っている気がします。

将来、あるときを境に一気に没落するような気がしてなりません。

 

ちなみに、ホセ・ムヒカ元大統領の演説からかなり時間が経ちましたが、あれから何か世の中が変わったかといえば…

何も変わっておりません、むしろ競争社会は激化しています

結局、もはや資本主義社会は止まらないということでしょうか。

日本人サラリーマンの生活も以前とほぼ変わりません。

たまに誰かが過労死してメディアが取り上げては、しばらく時間が経過すると風化して、また誰かが過労死しています。

そんな同じようなループを延々と繰り返しています。

変わったことといえば、以前よりも外国人労働者が増えたことくらいでしょうか。

コンビニなんて、店員はほぼ外国人なんてのもめずらしくなくなってきました。

相変わらずの使い捨て社会です。

たまにホセ・ムヒカ元大統領のような人が出てきたところで、世界中のその他大勢は利己的なので焼け石に水なのでしょうね。

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