食事で虚しくなるとき
社会人になってから、孤独になることが多くなったと思います。
気の置けない友人もいなければ、両親もいない。
いるのはギスギスした人間関係の「他人」だけ。
そんな毎日に、自宅でも外でもふと虚しさを感じることが多くなりました。
特に虚しさを感じるのは、やはり食事のときでしょうか。
ひとりで飯を食べる…
おいしくない
飯を食べるというのが、単なるエネルギーの補給にしか感じられなくなるほど、
無機質であり単調な行動にしか思えなくなりました。
ただ、ひとりで飯を食べること自体は、別に慣れていなかったわけではないのです。
私は元々、どちらかといえば一人旅や単独行動が好きな方でした。
ですので、一人で飯を食べるということに違和感を覚えることはありません。
しかしながら、社会人になってからはなぜか寂しいのです。
わずかな休日に、ひとりで飯を細々と食べていると、どうしようもない空虚感に襲われます。
自分が飯を噛んでいる音にすら虚しさを感じることもあります
静かな部屋でひとりで食べる朝飯、昼飯、晩飯。
外に出なければ一日中誰とも話さずに終わる日々の繰り返しです。
仮に出たとしても話すのはコンビニの会計やり取りくらいです。
本当に、うつ病でも誘発しそうな環境が整っていると思います。
もしかしたら、どこか内心、人恋しさのようなものを感じているのでしょうか。
今までは孤独に対してある程度の耐性があったのに、社会人になった途端にもろくなったような気がします。
無駄に他人に対してオドオドするようになった気がします。
街でサラリーマンを見かけるたびに仕事のことが頭をよぎるようにもなりました。
パクパクモグモグの風刺絵を見て泣ける
2chのあるサイトで投稿された「朝ごはんを食べよう」という風刺絵を知っていますか?
気になる方は「朝ごはんを食べよう パクパクモグモグ」で検索してみてください。
この風刺絵の泣いている人…
まさしくいつもの私です
この風刺画は作者不明・意図不明ともあって、内容にはいろいろな解釈があります。
特になぜ泣いているのかは様々な解釈がありますが、私の捉えた会社は日常の虚しさです。
特に意味もなく過ぎゆく無駄な日々。
嫌な仕事、嫌な人間、つまらない日々、それでも減っていく貴重な人生。
それらが飯を食べている最中に一気に噴き出し、泣いてしまいます。